札幌地方裁判所 昭和45年(行ク)1号 決定 1970年3月23日
申立人 高橋博政 外一四名
被申立人 札幌医科大学学長
主文
一、被申立人が昭和四五年一月一六日に、申立人高橋博政、同東野隆、同松本隆、同近藤信夫、同今井正治、同加藤三保子、同加登譲、同菊地浩一、同小林孝、同前川純、同大西忠博、同土田博美、同山崎充に対してなした別表記載の停学処分の効力は、右高橋博政、東野隆については直ちに、松本隆、近藤信夫については昭和四五年五月一八日から、その余の申立人については同月二五日から、それぞれ当裁判所昭和四五年(行ウ)第四号停学処分取消請求事件の判決が確定するまで停止する。
二、申立人小畑博志、同木島敏明の申立を却下する。
三、申立費用は申立人小畑博志、同木島敏明について生じた部分は右申立人らの負担、その余の申立人らについて生じた部分は被申立人の負担とする。
理由
第一当事者の求めた裁判
I 申立人ら
一、被申立人が申立人らに対し昭和四五年一月一六日にした別表記載の各処分の効力はいずれも本案判決確定に至るまで停止する。
二、申立費用は被申立人の負担とする。
II 被申立人
一、申立人らの本件申立を却下する。
二、申立費用は申立人らの負担とする。
第二申立の理由
一、申立人らはいずれも北海道立札幌医科大学の学生であつて、別表学年欄記載のとおり在籍しているものであるが、昭和四五年一月一六日被申立人から同表記載のとおりの処分を受けた。
二、しかしながら、右停学処分は次の理由で違法であるから取消されるべきである。
(一) 札幌医科大学学則第三一条によれば、「この学則その他大学の定める諸規則を守らず学生の本分に反する行為のあつた者は懲戒処分をすることができる。」旨規定されているが、申立人らには学生の本分に反するような行為はない。被申立人は、申立人らの学内改革運動を理由として本件処分を行つたものと考えられるが、申立人らの右活動は学生の本分に適うものであつてもこれに反するものではない。
(二) 仮に申立人らに右規定に該当する事実があつたとしても、懲戒処分は処分理由となつた事実に照らし相当のものでなければならない。しかるに本件懲戒処分は、処分理由となつた事実に照らしその種別および程度が著しく権衡を失し、申立人らに過大の苦痛を与えるもので、裁量権を濫用した違法がある。
(三) 本件懲戒処分は、申立人らの学内改革運動を嫌悪し、その報復としてなされたものであるから、思想信条に基づく不利益処分であつて、憲法第一四条に違背するものである。
(四) 憲法第三一条の規定は、行政機関が懲戒処分という権利義務に重大な影響を及ぼす処分を行う場合にも適用されるべきである。しかるに本件懲戒処分においては、申立人らに処分理由の説明がされず、且つ弁明の機会も与えられずに処分がなされたものであるから、本件懲戒処分の手続は憲法第三一条に違背するものである。
三、申立人らは本件懲戒処分により回復不能の損害を蒙り、またその損害は時々刻々拡大しているのであるから、これを避けるために本件懲戒処分の効力を停止する緊急の必要がある。すなわち、申立人らは本件懲戒処分により学内への立入さえも禁止されていることにより多大の精神的苦痛を受け、また医科大学の特殊性から停学期間満了後に勉学の遅れを取戻すことは極めて困難である。更に札幌医科大学の進級に関する規程によれば、各講義および講座について、その全授業日数の三分の一以上を欠席した場合には、定期試験の受験資格を失う旨規定されている。従つて申立人らのうち停学六月および無期停学の処分を受けた者は原則として定期試験受験資格を喪失し、一年以上の留年を余儀なくされることになる。また、申立人木島敏明、同小畑博志については停学三月の処分であるが、これまで札幌医科大学では大学紛争のため昭和四四年中には十分な授業が行なわれなかつたので、一月以降に実施される授業が中心となるため、仮に定期試験を受験できても著しく不利である。
第三被申立人の意見
一、申立人らは、「何等学生の本分に反するような行為がなく、本件停学処分は、懲戒根拠規定に該当する事実に基づかない処分である」旨主張するが、本件停学処分は、申立人加藤三保子、木島敏明、今井正治、加登譲、前川純、山崎充、近藤信夫については、昭和四四年七月一六日から同年一二月一二日までの進学課程校舎の封鎖、占拠、同年八月二三日から同年一二月一二日までの学務部、図書館、大講堂、基礎医学校舎等の封鎖、占拠をし、かつ施設の破壊等により総額金一〇、一七七、九三六円の損害を与えたこと、および申立人ら全部について別紙記載のとおり昭和四五年一月八日授業再開後における本学学生に対する暴行、傷害、授業妨害行為をしたことを理由に行なわれたものである。これらの行為は、大学の使命とも言うべき教育研究を阻害し、本学学生の授業をうける権利を侵害するばかりか、道民の財産たる大学施設に著しい損害を与えた行為である。このため、本学学生の進級のみならず卒業を遅延させ、昭和四五年度の新入生の自宅待機をも余儀なくさせるものであり、これらの行為は、犯罪行為を含み、かつ、教育をうけ研究をする立場にある学生たるにふさわしい行為ということはできないのであつて、かかる学生に対して、学校教育法第一一条、本学学則第三一条に基づいてなした懲戒処分は適法である。
二、大学の学生に対する懲戒処分は、教育施設としての大学の内部規律を維持し、教育目的を達成するために認められる自律的作用に基づくものであつて、その処分が全く事実上の根拠を有しないと認められる場合ないし社会通念上著しく妥当を欠き懲戒権者に任された裁量権の範囲をこえるものと認められる場合を除き、懲戒権者の裁量に任されているものである(最高裁第三小法廷昭和二九年七月三〇日判決参照)。
申立人らに対する本件停学処分の決定にあたつては、事実確認を慎重に行ない、かつ、申立人らの行為の態様その他一切の事情を考慮し、公平に決定したものであり、また、懲戒処分の内容は、退学処分をさけて停学処分とし、申立人ら本人に反省の機会を与え、今後の行動のいかんにより復学の余地を残したもので、学校教育法施行規則第一三条第一項に規定する教育上必要な配慮もなされた処分であつて「社会通念上著しく妥当を欠」くものではなく、いわんや懲戒処分の種別選択につき裁量権を濫用したものではない。
三、本件停学処分は、前記一記載の事実に基づき、当該行為の軽重、態様その他諸般の要素をしんしやくして行なわれたもので、思想信条に基づく不利益処分ではないから、憲法第一四条に違反するものではない。
四、本件停学処分は、学長が教授会の議を経て適式に行なつたものであつて、その手続になんらの瑕疵も存しない。処分にあたつては、文書、掲示等によつて数度にわたり事前に警告を発し、その反省を求めており、さらに、保証人らに面接のうえ処分の理由を明らかにしている。申立人らに弁明の機会を与えなかつたのは、弁明の機会を与えてもこれに応ずるような状況になかつたからで(出頭する見込みもうすく、出頭しても黙秘される公算が大きかつた。)、時機を失することなくあの時点において処分することが教育正常化のために必要であると認めて本件停学処分の措置にでたものである。なお、憲法第三一条は、本件停学処分に適用される余地はない。
五、授業再開後は、封鎖派あるいは封鎖派に加担する学生も授業に出席し、休憩時間、放課後において本学学生に対して討論を強要し、下校を妨害する等の行為が続いて学内秩序が多少乱れる面もあつたが、最近はようやく正常化に近づきつつあるようにみられる。
しかしながら、申立人らのうちの一部学生は、構内立入禁止の措置を無視して大学構内に立入り、本学学生に対して暴力を加えるほか処分弾劾集会に参加していることが確認されている。また、昭和四五年三月三日及び四日に実施された本学入学試験の際は、受験生に対しビラを配布し、アジ演説を行ない、本件停学処分による反省の態度は、現状ではみられないところである。
このような状況のもとに、仮に本件停学処分の効力が停止されるようなことになれば、ようやく正常化に向いつつある学内秩序は再び混乱し、大学の正常な教育活動を著しく損なうおそれが予想される。
六、申立人らは、本件停学処分によつて進級に関する規程に定める進級試験受験資格を喪失するため、回復不能の損害を蒙るおそれがあり、かつ、損害が拡大しつつあると申し立てているが、申立人らのうち加登譲、前川純の二名は、春学期の終了日たる昭和四四年七月一〇日現在において既に受験資格を喪失しており、高橋博政、小畑博志、東野隆、松本隆以外の申立人九名(いずれも専門課程)は、本件申立書の提出された昭和四五年二月二七日には受験資格を喪失しているのであつて、以上一一名はすでに進級の見込みなく、停学処分の効力を停止する緊急の必要は全くない。
また、進学課程一年の高橋博政、小畑博志、東野隆、松本隆の四名は、一講(一二〇分以内)ないし五講の欠席があれば受験資格を喪失することとなるもので、いずれも授業放棄の行動を継続し、反省の様子がないから九分九厘進学の見込みはない。
申立人らが本件停学処分の効力の停止を求めるのは、学内に立ち入つて「バリ斗」(バリケード闘争委員会)の活動を再開する目的以外には考えられない。
七、本件懲戒処分にあたつては、申立人らの前途を考慮し、回復不能の損害を与えることのないように特に退学処分を避けて停学処分としたものであつて、この処分の結果進級試験の受験資格を喪失するからといつて、ただちに回復不能の損害を蒙るわけのものではない。
なお、申立人らは、昭和四五年一月八日以後の授業再開に反対し、同年一月一六日の本件停学処分のあつた日までの間においても授業を放棄しているのであるから、本件停学処分を受けても授業に参加できないことによつて精神的苦痛を受けるはずはない。
八、申立人らは、前記「バリ斗」の中心人物として大学の封鎖、占拠等を指揮せん動し、本学における教育、研究を阻害し、その正常な運営を乱し、昭和四五年度の新入生の自宅待機をも余儀なくさせる状態を生じさせた。大学当局はやむなく警察力を導入し、困難な作業を続けて、ようやく正常な教育活動の見とおしをつけたところであつて、仮に本件執行停止の申立が認められるようなことになれば、再び大きな混乱が生じ、再度の校舎等の封鎖、占拠はもとより、大学の一切の機能が麻ひすることも十分予想されるところであるから、本件執行停止は公共の福祉に重大な影響を及ぼすものとして許されるべきではない。
第四疎明<省略>
第五当裁判所の判断
一、申立人らが札幌医科大学の学生で、別表学年欄記載のとおり在籍していること、および昭和四五年一月一六日、当時の同大学学長新保幸太郎が申立人らに対し別表記載の処分をしたことは当事者間に争いがない。
二、そこで本件処分により申立人らが回復の困難な損害を蒙るか否かにつき検討するに、学生が停学処分をうけたことにより授業を受けることができない場合には、そのことにより目的とする学問、技能の修得が不能となり、ひいては進級若しくは卒業が遅くれることにもなり、その者が損害を受けることは明らかであるし、かつ停学処分が本案において取消され、その結果その者が停学処分を受けた期間も授業を受けたと同様の取扱いがなされるとしても、現実に授業を受けていない期間がかなりの長期にわたる場合には、そのことによつて所期の学問、技能を身につけることができなかつたことによる損害が右の取扱いによつて回復できたとみることはできないから、右の損害は性質上回復し難いものと解するのが相当である。
もつとも同大学学生便覧によれば、進学課程の学生については、「進学課程授業科目履修方法、試験および進級取扱に関する規程」が定められており、その第四条、第六条によると学年を通じて当該授業科目の時間数の三分の二以上に出席しなければ学年末の定期試験を受験することができず、その者は次の学年に進級することがないとされ、進級できなかつた者の当該学年において履修した授業科目はすべて不合格と同様の取扱いとする旨が規定され、また専門課程の学生についても、「専門課程試験および進級取扱に関する規定」の第三条、第六条にも同旨の規定が存することが認められる。そして右のように必修科目のうちの一科目でも不合格の場合にはその学年において履修した科目すべてについて不合格と同様とする取扱いの下においては、学生が出席時間数の不足により進級試験の受験資格を失い、進級することが不能になつた場合にはいわゆる留年となり、次年度においてもう一度すべての科目について同一の授業を受けざるを得ないし、次年度において再び同一の授業を受けることはできるわけであるから、当該学年での爾後の授業を受けることができないことをもつて回復の困難な損害を受けるものとはいい難い。
以上の見地から申立人ら各自につき検討するに、
(一) 疎乙第九号証の一、三、五ないし七によれば、申立人高橋博政、同東野隆は進学課程一年におけるすべての履修科目についてその授業時間数の三分の一を超える欠席はなく、従つて三月二四日以降の授業に出席すれば定期試験の受験資格を得ることができ、留年を免れることも可能であることが認められるので、右両名は前記処分によつて授業を受けられないことにより回復の困難な損害を蒙るというべきである。そして右疎明資料によれば、高橋は三月二四日以降、英語(清水助教授担当)の授業を二講(一講二時限)欠席すれば直ちに定期試験の受験資格を失い、また東野については右の他に生物学を一講(次回の同講義は三月二四日)欠席すれば同様に受験資格を失うことが認められるので、右損害を避けるため緊急の必要があるというべきである。
(二) つぎに疎乙第九号証の一および三ないし七によれば、その余の申立人らはいずれも授業時間数の三分の一を超えて欠席した科目があるので昭和四四年度の学年末の定期試験の受験資格を失い、今学年における進級は不能であること、および翌昭和四五年度の授業開始日は、進学課程、専門課程の各一年が昭和四五年五月一八日、専門課程二年は同月二五日であることが認められる。そうすると申立人らのうち小畑および木島はいわゆる留年を免れないから昭和四四年度の残りの授業を受けられなくとも回復困難な損害を受けるとはいい難いし、かつ停学三月の処分であるから右昭和四五年度の授業開始日より今学年と同一の授業を受けることができることになるから、昭和四五年度のことを考慮してもなお回復の困難な損害が存するとは解し得ない。しかしその余の停学期間が六月若しくは無期の一一名の申立人らについては、昭和四四年度における授業を受けられないことにより回復の困難な損害を受けると解することができないことは右と同様であるが、翌昭和四五年度の授業開始日以降なおかなり長期間にわたり授業を受けることができない限度で回復の困難な損害を蒙るというべきである。
なお昭和四五年度の授業開始日(昭和四五年五月一八日若しくは同月二五日)以降の停学処分の効力を停止することも、右授業開始日があと二ケ月足らずに接近している現在においては、なお右損害を避けるために緊急の必要がある時に該るというべきである。
三、なお本案について証拠調べの進行していない現段階においては、本件の全疎明によるも本案につき理由がないとみえるとは断定することはできない。
四、更に被申立人は、本件執行停止の申立が認容されれば、申立人らにより再び校舎等の封鎖、占拠等が行なわれ、大学の機能が麻ひするので、公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあると主張するが、本件全疎明によるも、本件執行停止を認容しても直ちに申立人らにより校舎の封鎖、占拠等がなされるとは認め難いので、被申立人のこの点の主張は採用できない。
五、以上のとおり申立人高橋博政、同東野隆については本件申立は理由があるのでこれを認容し、その余の申立人らのうち申立人小畑博志、同木島敏明を除く一一名の申立は主文第一項記載の限度で理由があるのでこれを認容することとし、右小畑博志、木島敏明の申立は失当としてこれを却下し、申立費用の負担につき民事訴訟法第九二条但書、第九三条一項本文、第八九条を適用して主文のとおり決定する。
(裁判官 松原直幹 浜崎恭生 吉原耕平)
別表
氏名
学年
処分の内容
氏名
学年
処分の内容
高橋博政
進学課程一年
停学六月
今井正治
専門課程二年
無期停学
加藤三保子
専門課程二年
〃
加登譲
〃
〃
木島敏明
〃
停学三月
菊地浩一
〃
停学六月
大西忠博
〃
停学六月
前川純
〃
無期停学
小畑博志
進学課程一年
停学三月
山崎充
〃
〃
東野隆
〃
停学六月
近藤信夫
専門課程一年
〃
小林孝
専門課程二年
無期停学
土田博美
専門課程二年
停学六月
松本隆
進学課程一年
停学六月
別紙
(一) 高橋博政
ア 昭和四五年一月八日午後一時三〇分頃、進学校舎第一講義室において進学一年岡部哲昭に対し、軟禁、ける、胸ぐらをつかまえる等の暴行を行なつた。
イ 昭和四五年一月一二日午前九時頃、進学校舎玄関前において進学二年本田哲史に対し暴行を加えた。
ウ 昭和四五年一月八日午前一一時頃、進学校舎第一講義室において、教壇を占拠し、授業妨害行為を行なつた。
エ 昭和四五年一月九日午前九時頃、進学校舎玄関において入構阻止のピケツトを張り、授業再開誓約書を破りすてる等の授業妨害行為を行なつた。
オ 昭和四五年一日一三日午前八時五〇分頃、進学校舎玄関前において入構阻止のピケツトを張り、授業妨害行為を行なつた。
カ 昭和四五年一月一四日午前九時頃、進学校舎玄関前において入構阻止のピケツトを張り、授業妨害行為を行なつた。
(二) 加藤三保子
昭和四五年一月一三日午前八時五〇分頃、進学校舎玄関において入構阻止のピケツトを張り、授業妨害行為を行なつた。
(三) 木島敏明
ア 昭和四五年一月八日午後〇時一五分頃、西第二講堂において専門二年三田村幌に対し、腕をねじる、なぐる、ける等の暴行を行なつた。
イ 昭和四五年一月八日午後〇時一〇分頃、西第二講堂において専門二年中井秀紀に対し、顔面をなぐる、こづく等の暴行を行なつた。
ウ 昭和四五年一月八日午後〇時一〇分頃、授業中の西第二講堂にはいり、暴力行為により授業妨害を行なつた。
(四) 大西忠博
ア 昭和四五年一月八日午前一〇時二〇分頃、西第二講堂後部入口前において専門二年久保義彦に対し、首をしめる、身体をふりまわす等の暴行を行なつた。
イ 昭和四五年一月八日午前一〇時頃及び同日午後〇時一五分頃の二度にわたり、専門二年三田村幌に対し、なぐる、引張る、首をしめる等の暴行を行なつた。
ウ 昭和四五年一月八日午後〇時四〇分頃、西第二講堂において専門二年村上俊吾に対し、えり首、オーバーなどを引張る等の暴行を行なつた。
エ 昭和四五年一月一四日午前八時三〇分頃、本部正面玄関において専門三年林一彦に対し、顔面をなぐる等の暴行を行なつた。
オ 昭和四五年一月八日午前一〇時一五分頃、西第二講堂において入口に入室阻止のピケツトを張り、授業妨害行為を行なつた。
カ 昭和四五年一月八日午後一時四〇頃、臨床第一講堂に押しかけ、授業妨害行為を行なつた。
(五) 小畑博志
ア 昭和四五年一月八日午後一時三〇分頃、進学第一講義室において進学一年岡部哲昭に対し、軟禁、なぐる、胸ぐらをつかまえる等の暴行を行なつた。
イ 昭和四五年一月八日午前一一時三〇分頃、進学第一講義室において教壇上からアジ演説を行ない、授業妨害行為を行なつた。
ウ 昭和四五年一月九日午前九時頃、進学校舎玄関において入構阻止のピケツトを張り、授業妨害行為を行なつた。
エ 昭和四五年一月一〇日午前九時頃、進学校舎玄関前において入構阻止のピケツトを張り、授業妨害行為を行なつた。
(六) 東野隆
ア 昭和四五年一月八日午後一時一五分頃、進学校舎内において進学一年倉田良子に対し、帰路を妨害する等の暴行を行なつた。
イ 昭和四五年一月八日午後一時三〇分頃、進学第一講義室において進学一年岡部哲昭に対し、軟禁、ける、胸ぐらをつかまえる等の暴行を行なつた。
ウ 昭和四五年一月一四日午前八時五〇分頃、進学校舎周辺において進学二年槇本深に対し、顔面、下腹部をなぐる等の暴行を行なつた。
エ 昭和四五年一月八日午前一一時頃、進学第一講義室において教員をつるし上げる等の授業妨害行為を行なつた。
オ 昭和四五年一月九日午前九時頃、進学校舎玄関において入構阻止のピケツトを張り、授業妨害行為を行なつた。
カ 昭和四五年一月一〇日午前九時頃、進学校舎玄関前において入構阻止のピケツトを張り、授業妨害行為を行なつた。
キ 昭和四五年一月一二日午前九時頃、進学校舎玄関前において入構阻止のピケツトを張り、授業妨害行為を行なつた。
ク 昭和四五年一月一三日午前八時五〇分頃、進学校舎玄関前において入構阻止のピケツトを張り、授業妨害行為を行なつた。
ケ 昭和四五年一月一四日午前九時頃、進学校舎玄関前において入構阻止のピケツトを張り、授業妨害行為を行なつた。
(七) 小林孝
ア 昭和四五年一月八日午前一一時一五分頃、西第二講堂において専門二年三田村幌に対し、顔、腹部をなぐる等の暴行を行なつた。
イ 昭和四五年一月八日午後〇時一〇分頃、西第二講堂において専門二年中井秀紀に対し、顔面をなぐる等の暴行を行なつた。
ウ 昭和四五年一月八日午後〇時三〇分頃、西第二講堂において専門二年後木建一に対し、顔面をなぐる等の暴行を行なつた。
エ 昭和四五年一月八日午後一時頃、西第二講堂において専門二年村上俊吾に対し、顔、腹部をなぐる等の暴行を行なつた。
オ 昭和四五年一月一二日午前九時頃、本部正面玄関において専門二年北崎光男に対し、顔面、あごをなぐる等の暴行を行なつた。
カ 昭和四五年一月一三日午前九時頃、進学校舎玄関前において進学二年本田哲史に対し、暴行を行なつた。
キ 昭和四五年一月一四日午前八時三〇分頃、本部正面玄関において専門二年斎藤宣照に対し、顔面、腹部をなぐる等の暴行を行なつた。
ク 昭和四五年一月八日午後〇時一〇分頃、西第二講堂において授業中の学生に対し、暴行を行なう等の授業妨害行為を行なつた。
(八) 松本隆
ア 昭和四五年一月一三日午前九時頃、進学校舎玄関において進学二年青木幸範に対し、顔面をなぐる等の暴行を行なつた。
イ 昭和四五年一月一四日午前八時三〇分頃、本部正面玄関前において専門二年斎藤宣照に対し、腹部をける等の暴行を行なつた。
ウ 昭和四五年一月一四日午前八時三〇分頃、本部正面玄関前において専門一年田村正に対し、胸部、大腿部をける等の暴行を行なつた。
エ 昭和四五年一月八日午前一一時頃、進学第一講義室において入室阻止のピケツトを張り、授業妨害行為を行なつた。
オ 昭和四五年一月九日午前九時頃、進学校舎玄関において入構阻止のピケツトを張り、授業妨害行為を行なつた。
カ 昭和四五年一月一〇日午前九時頃、進学校舎玄関前において入構阻止のピケツトを張り、授業妨害行為を行なつた。
キ 昭和四五年一月一三日午前八時五〇分頃、進学校舎玄関前において入構阻止のピケツトを張り、授業妨害行為を行なつた。
ク 昭和四五年一月一四日午前八時五〇分頃、進学校舎玄関前において入構阻止のピケツトを張り、授業妨害行為を行なつた。
(九) 今井正治
ア 昭和四五年一月八日午前一〇時頃、西第二講堂入口においてピケツトを張り、授業妨害行為を行なつた。
イ 昭和四五年一月八日午後一時四〇分頃、臨床第一講堂に押しかけ、授業妨害行為を行なつた。
ウ 昭和四五年一月一〇日午前九時四五分頃、臨床第一講堂に押しかけ、授業妨害行為を行なつた。
ヱ 昭和四五年一月一〇日午前九時三〇分頃、本部正面玄関前において専門二年後木建一の顔面をなぐる、首をしめつける、胸ぐらをつかまえてふりまわす等の暴行を行なつた。
オ 昭和四五年一月八日午後〇時三〇分頃、西第二講堂において専門二年岡本賢三のえり首をつかんでなぐりながら壁のところに連れてゆき、胸をなぐり、かつ、腹部と足を数回けつた。
カ 昭和四五年一月一〇日午前九時頃、専門二年中村光成の胸をなぐつた。
(一〇) 加登譲
ア 昭和四五年一月八日午前一一時一五分頃から一二時頃にかけて、西第二講堂において専門二年三田村幌の頭部、顔面、腹部を一〇回以上なぐり、ける等の暴行を行なつた。
イ 昭和四五年一月八日午後〇時一〇分頃、西第二講堂において専門二年中井秀紀の髪をひつぱり、なぐる、ける等の暴行を行なつた。
ウ 昭和四五年一月八日午後〇時四〇分頃、西第二講堂において専門二年深津祐子の髪をひつぱつた。
エ 昭和四五年一月八日午後〇時三〇分頃、西第二講堂において、授業を受けようとする学生に暴行を行ない、授業妨害行為を行なつた。
(一一) 菊地浩一
ア 昭和四五年一月八日午前一〇時三〇分頃から午後一時頃にかけて、西第二講堂においてピケツトを張り、授業を受けようとする学生に暴行を行ない、授業妨害行為を行なつた。
イ 昭和四五年一月八日午前一〇時頃、西第二講堂入口及び同講堂内において専門二年三田村幌をなぐつた。
ウ 昭和四五年一月一四日午前八時五〇分頃、進学校舎玄関前において進学二年槇本深の鼻をなぐり(出血)、下腹部をけつた。
エ 昭和四五年一月一四日午前八時五〇分頃、進学校舎玄関前において進学二年高後裕の左大腿部に打撲傷を与えた。
オ 昭和四五年一月一四日午前八時五〇分頃、進学校舎玄関前において進学二年佐藤昇志の左大腿部に打撲傷を与えた。
(一二) 前川純
ア 昭和四五年一月八日午後〇時二〇分頃、西第二講堂においてピケを張り、授業をうけている学生に対して暴行を行ない、授業妨害行為を行なつた。
イ 昭和四五年一月八日午後〇時四五分から午後一時にかけて西第二講堂において専門二年三田村幌をけり、階段から突きおとした。
ウ 昭和四五年一月八日午後〇時三〇分頃、西第二講堂において専門二年岡本賢三の胸部、腹部等を連続的になぐつた。
エ 昭和四五年一月八日午後〇時五五分頃、西第二講堂において専門二年斎藤宣照の顔面をなぐつた。
(一三) 山崎充
ア 昭和四五年一月八日午前中(時刻不明)西第二講堂においてピケツトを張り、暴行を行ない、授業妨害行為を行なつた。
イ 昭和四五年一月八日午後一時四〇分頃、臨床第一講堂において授業妨害行為を行なつた。
ウ 昭和四五年一月一〇日午前九時四五分頃、臨床第一講堂において授業妨害行為を行なつた。
エ 昭和四五年一月八日午後〇時一五分頃、西第二講堂において専門二年後木建一を突き倒した。
オ 昭和四五年一月八日午後〇時二〇分頃、西第二講堂入口前において専門二年久保義彦の首をしめ、振りまわし、ひきずる等の暴行を行なつた。
カ 昭和四五年一月九日午前一〇時一〇分頃、本部正面玄関において専門二年北崎光男の左向うずねを力いつぱいけつた。
キ 昭和四五年一月九日午前一一時二〇分頃、本部正面玄関において専門二年久保義彦の身体を突き、腹部をなぐつた。
ク 昭和四五年一月九日午前一一時三〇分頃、本部正面玄関において専門二年斎藤宣照の顔面をなぐり、下腹部とすねをけとばした。
ケ 昭和四五年一月九日午前一一時三〇分頃、本部正面玄関前において専門二年笹原政美の首をしめ、なぐる、ける、こずく等の暴行を行なつた。
コ 昭和四五年一月一三日午前九時頃、進学校舎玄関前において進学二年川上康博の顔面を数回なぐつた。
サ 昭和四五年一月一四日午前八時二五分頃、本部正面玄関において専門一年菅優の顔面をなぐつた。
シ 昭和四五年一月八日午後一時頃、西第二講堂において専門二年中佐藤利一の頭部を平手で強打した。
ス 昭和四五年一月一三日午前九時頃、進学校舎玄関前において進学二年熊谷卓司の顔面、腹部をなぐり、下腹部をけつた。
セ 昭和四五年一月一四日午前九時頃、進学校舎玄関前道路において、数名の学生とともに専門四年秋原実の左手首をおさえ、身体の自由を拘束し、数十回にわたつてなぐる、けるの暴行を行なつた。
(一四) 近藤信夫
ア 昭和四五年一月八日午前一〇時二〇分頃、西第一講堂入口において専門一年猫塚義夫の腹部、下腹部に打撲傷を与えた。
イ 昭和四五年一月八日午前中(時刻不明)、専門一年菅優の顔面をなぐつた。
ウ 昭和四五年一月八日午前一〇時頃、西第一講堂において授業妨害行為を行なつた。
エ 昭和四五年一月一二日午前八時三〇分頃、本部正面玄関において授業に出席する学生の入構を阻止し、授業妨害行為を行なつた。
(一五) 土田博美
ア 昭和四五年一月八日午前一〇時から午前一一時頃まで及び午後〇時一五分頃の二度にわたり、西第二講堂及びその入口において専門二年三田村幌に対し、なぐる、ける、引つぱる等の暴行を行なつた。
イ 昭和四五年一月八日午後〇時一〇分頃、西第二講堂において専門二年中井秀紀の顔面をなぐつた。
ウ 昭和四五年一月八日午後〇時四〇分頃、西第二講堂において専門二年村上俊吾に対し、顔面をなぐる、身体を引つぱる等の暴行を行なつた。
エ 昭和四五年一月一三日午前八時五〇分頃、専門三年田所哲司を後方からけとばした。
オ 昭和四五年一月八日午後〇時一〇分頃、西第二講堂において、授業中無断で講堂にはいり、授業中の学生に対して暴行を行なう等の授業妨害行為を行なつた。
カ 昭和四五年一月八日午後一時四〇分頃、臨床第一講堂において授業妨害行為を行なつた。
キ 昭和四五年一月一〇日午前九時四五分頃、臨床第一講堂において授業妨害行為を行なつた。